ゲーム業界の最強タッグ
現在では「スクエア・エニックス」という「ひとくくりの名前」もすっかり当たり前のものになっていますが、ファミコン時代からの『ファイナルファンタジー』と『ドラゴンクエスト』、それぞれの超大作シリーズの熱心なプレイヤーだった人間としては、「スクエア」と「エニックス」が合併して「スクエア・エニックス」になったことに対しては、いまだに驚きを感じてしまいます。
「スクエア・エニックス」とは、言ってしまえば、アントニオ猪木とジャイアント馬場による夢のタッグである「BI砲」のようなものであり、ゲーム業界の最強タッグである、と断言してもよいのではないかと思います。
『ファイナルファンタジー』と『ドラゴンクエスト』
シナリオライターの坂口博信(ファイナルファンタジー)と堀井雄二(ドラゴンクエスト)は、コンシューマーゲームという大衆に広く流布する娯楽の領域で、大衆に愛される「物語」を語った巨匠として、そのゲーム作家としての稀有な才能と、残した作品が与えた影響力や価値などを、改めて、文学的な見地からなどもそれぞれに評価されなければならないのではないかと思います。
キャラクターデザインやグラフィックにおいては、イラストレーターの天野喜孝が担当した『ファイナルファンタジー』に対して、漫画家の鳥山明が担当した『ドラゴンクエスト』、といったように、二つのゲーム作品は、それぞれ、グラフィックや音楽の方面でまったく違う才能を用いることで、作品の持つ特色の決定的な差異を作り出してきました。
音楽方面では、『ファイナルファンタジー』では植松伸夫、『ドラゴンクエスト』ではすぎやまこういちがそれぞれ担当していますね。
これはいささか牽強付会な見方かもしれませんが、例えるならば、『ファイナルファンタジー』はミケランジェロ的、『ドラゴンクエスト』はダ・ヴィンチ的な性質と傾向を持っているといってもよいかもしれません。
それぞれのクリエイターたちと作品空間
『ファイナルファンタジー』における、天野喜孝による装飾的なグラフィックと植松伸夫のプログレッシブでポリフォニックなサウンドは、非常に相性が良かったと思います。
スーパーファミコン末期に発表され、使用容量を限界まで使い切った『FF6』のなかでは、なんとゲームキャラクターが「オペラ」を歌う地点にまで至っていますし、これは、『ファイナルファンタジー』というゲームが、どのようなヴィジョンを持って作り続けられてきたRPGだったのか、ということを指し示すような事件でもありました。
ラストボスのケフカ戦では、「肉体」によって構築された「塔」が、どこまでも上へ上へと伸びていくというゴシック建築的な欲望の繁殖とともに戦闘シーンが繰り広げられますが、まさに、FF特有のグラフィックとサウンドと物語の競合の一つの到達点を示しているといってよいでしょう。
かたや、ファミコン時代、スーパーファミコン時代を通して、『ドラゴンクエスト』のグラフィックとサウンドは、ファイナルファンタジーに比べると、無駄が極力排除された印象が強い、RPGにおける「能」ともいえるような、制限された様式美を構築してきました。
これもまた、鳥山明、すぎやまこういち両名の才能がタッグを組み、堀井雄二の物語に寄り添った結果、生まれたものです。
「父」と「子」と「精霊」による雄大な「物語」の空間、「勇者」や「魔王」といった象徴的な人物を語るにあたって、必要とされるのは、過剰な装飾ではなく、それぞれの役割や、世界の「原理」をむき出しにするための作劇、演出となります。
使用できる音が少ないというファミコンの制限による「不自由の自由」を最大限に活かしきった、バッハを彷彿とさせるすぎやまこういちのゲーム音楽は、ドラクエ世界の「物語」に最もふさわしいサウンドといってよいでしょう。
また、鳥山明の高い画力による一切の無駄のない線と卓越したキャラクターデザインは、堀井雄二の天才的なネーミングセンスなどと絡み合いながら、ドラクエというファンタジー空間を、確固たる一つの世界として作り上げています。
同時代を並走したRPGの分岐と合流
『ファイナルファンタジー』と『ドラゴンクエスト』は、ナンバリングタイトルによって共通点を多く持っているということも興味深いですね。
たとえば、『ファイナルファンタジー』でも『ドラゴンクエスト』でも、「3」においては、それぞれ「職業」という要素が非常に重要になっているという共通点がありますし、「3」は、それぞれの作品がシリーズとしてのブレイクスルーを経験し、盤石になった瞬間でもありました。
「4」においては、どちらの作品も、登場人物の「固有名詞」というものが前面に押し出されている印象が強く、進行する物語が、登場人物の「固有名詞」や「性格」をベースにして語られていくという大きな特徴を持っています。
最も感動的な共通点は、二つの作品がそれぞれスーパーファミコンで最後に作ったのが「6」というナンバリングの作品であった、ということになるでしょう。
「6」という作品は、それぞれの作品が作り上げてきた特有の空間のひとつの到達点であり、最高の回答であったことは間違いありません。
プレステ以降の次世代機に突入する前夜に、『ファイナルファンタジー』と『ドラゴンクエスト』という二つのRPGは、「1」の誕生からずっと描き続けてきたヴィジョンの一つの到達を見たのだと思います。
次世代機突入以降は、技術の向上、使用容量の増加などにより、「6」にいたるまでにじっくりと作り上げられてきた、それぞれのシリーズの特色をより先鋭化させていくようになり、共通点が少しずつ減っていき、袂を分かつことになりますが、「6」までの間に二つの全く違う作品に「共通点」を発生させてきた、根底に流れている「源流」は、現在でも脈々と流れているといっていいでしょう。
その一つの結果が、二つの大河がついに交わった地点でもある「スクエア・エニックス」ということになるのではないでしょうか。
振り返ってみると、鳥山明によるキャラクターデザインでスクエアが製作したRPGである『クロノ・トリガー』は、もしかすると「スクエア・エニックス」という未来をみすえた、「予言書」のようなRPGだったのかもしれません。